新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2001.10.17 (木) 36面



「小田原の酒盗」
  白い豆腐に映えるピンク

小泉 武夫さん(東京農業大学教授)


 この味覚人飛行物体は、いつの間にか「走る酒童」なんていう、身に余る光栄なあだ名までちょうだいしているほど酒も楽しんでいる。
 多くの場合は何人かで飲(や)るが、たまにはしみじみと独り酒だって飲る。そんなときに一番似合うのが、我が輩にとっては耳から入る演歌。そして口から入る、酒を邪魔しない肴(さかな)だ。演歌は八代亜紀、美空ひばり、石川さゆりあたりが格好で、独り酒の肴といえば「酒盗(しゅとう)」が実によく似合う。
酒盗はとりわけ、神奈川県小田原市に住む椎野雅之さん製のものが日本最高級品のひとつで大好物。これを取り寄せて、皿に豆腐一丁をでんとのせ、その上にこの酒盗をぶっかけて、八代亜紀の「舟唄」あたりを耳にしながら、ちびり、ちびりとしみじみ飲るのである。いいですなあ、しびれちゃいますねえ。
 酒盗はカツオの内臓でつくった塩辛のことで、江戸期の「和漢三才図会」にはカツオの肉と小骨をたたいて塩辛にしたものを「カツオのたたき」、腸(わた)などの内臓でつくったものを「酒盗」という、とあり、これを肴にすると酒がどんどんすすむので、この名があるとみえる。
 で、その椎野流酒盗をぶっかけた豆腐、よく見るとこれが実にうまそうなんですねえ。豆腐の純白に、やや赤みを帯びた桃色の酒盗。この互いの色の調和が目から飛び込む食欲活性素となって、涎(よだれ)がわくんですなあ。
 そして、その豆腐の端の方からすこしずつ箸(はし)で崩していくようにして、豆腐と酒盗をからめながら口に入れる。瞬時に口の中では、豆腐の上品な舌ざわりが広がり、そこに芳醇(ほうじゅん)なうまみとかぐわしきにおいの酒盗がかぶさる。そこで、ああ、うまいと深く感嘆の息をついて、それを顎下(がくか)にくだしてから、コピリンコと熱燗(あつかん)にした純米酒を飲るのである。たまりませんねえ。
 酒盗は、熱い飯の上にのせて食っても不思議なほどの食欲が高まって、飯があっという間に胃袋にすっ飛んで行ってしまうから、「酒盗」という名ばかりでなく「飯盗」というのもあってよいほどである。
 最近はこの酒盗にはまり、実にさまざまな楽しみ方を我が輩流に考案し、そのレシピは五十種類にも及ぶ。カマンベールチーズにのせる、握り飯の中に入れる、酒でのばして豆腐と和(あ)える、うっすらとパンに上塗りする、酒盗を酒とだし汁でのばし、小鍋に入れてから魚介や野菜を煮る、等々。とにかく酒盗は我が輩の心まで盗んでしまう憎い奴。




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