新聞掲載記事から転載しました。 讀賣新聞 2003年2月17日(月) 19面
小泉 武夫 食の冒険家への ”第一歩”
持参した箱から、硬い硬い、あめ色の身欠きニシンを取り出して、しゃぶりついた。「ぼくは体は人間。舌は猫」あたりはばからず魚の脂のにおいが漂う。思わず「生臭い」と言うと、「これが臭いとは教養がない」と怒られた。
「チュルリチユルリと脂から出るコク味と、肉からでるうまみが口の中で踊り出す。渋みが口の天井のあたりにはりついて、これがおつ」
身欠きニシンは、故郷の福島では大事な食材だ。代表的な郷土料理「ニシン漬け」を作るための専用の焼き物まである。
この地で古くから続く造り酒屋に生まれた。幼いころから、あらゆるものを口にし、いろりにまで口をつっこむため、帯で柱につながれた。
「この子は食べてさえいればおとなしいから」と考えた祖母が与えたのが、みそをつけた身欠きニシンだった。
おいしい代わりににおいも硬さも強烈。簡単に食べられないから一時間はおとなしい。お陰であごも鼻も鍛えられ、「食の冒険家」への道を歩み出した。
小学三年生の時に母を亡くし、父親と二人暮らしとなった。休みの日には自分で料理を作る。鶏をつぶしたり、カミキリムシの幼虫を焙烙(ほうろく)でいったり。庭に住む、あらゆる生き物の味を試した。
「シマヘビを見ると、胸がキュンとなりましたな」
そもそも父親が食道楽。伊豆七島からくさやの干物、琵琶湖からフナずしを取り寄せるほど。
当時の越後杜氏(とうじ)は国に帰る時、翌年のためにみそを仕込んでいくのが習わし。そのみそに、小さく削った身欠きニシンを半々に合わせ、七味トウガラシを振って十日ほど寝かせたのがわが家の味だった。熱いご飯に乗せて食べると、実にうまい。
"食の英才教育"を受けて探求心は募る一方。高校生にして、カバンにしょうゆや缶詰を入れてくるので、付いたあだ名は「食糧事務所」。
長じて、発酵学者となり、世界中を旅して、発酵食品を口にした。ニシンを発酵させ、強烈に臭いスウェーデンの「シュール・ストレンミング」、催涙性がある韓国の「エイの漬物」、アザラシの腹に海ツバメを詰め込んで発酵させたカナディアン・イヌイットの「キビヤック」。
衛生状態の悪い場所で、スタッフ一同が下痢や食中毒で苦しんでいても、一人だけ平気な顔で食べ物を平らげる。今度は、「はがねの胃袋」というあだ名がついた。
「こうして活動できるのも、鍛えてくれた祖母のお陰」と満面の笑みを見せる。
日本の伝統食を大切にすることを訴え、日本人の「食の堕落」に警鐘を鳴らし続けている。原点は身欠きニシン。「三つ子の魂、百まで」ということわざの幸せな実例がここにある。(斎藤 雄介)
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