新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2002.07.25 32面



「夏のイシモチ」

小泉 武夫さん(東京農業大学教授)


甘いうまみに唾液がチュルル

 夏の旬魚はいろいろあって、とてもとても舌が追いつかない。おろしショウガで食うマアジのたたき、粗塩を振って焼き上げたカマスの塩焼き、コチの薄造り、脂の乗ったイボダイの一夜干し。いちいち数えていたら枚挙にいとまがない。
 そんな夏季垂涎(すいぜん)魚の中にあって、ひときわ異風な感のある魚はイシモチではあるまいか。肉身にやや水分が多いとして、大半はカマボコの材料に用いられるにせよ、この魚を焼いて食うと、そのうまさに「カマスの塩焼き一升めし」と格言のあるカマスさえ、たじたじとなる。
 姿も少し変形で、体は紡錘状に側扁し、背面が高くて頭はやや小さく、その上部に凹所がある。体全体に細鱗(うろこ)をかぶっていて、黄の混じった灰緑色。頭部骨格内に耳石(じせき)と呼ばれる石を持つので「イシモチ」という名が付いた。とにかく味が淡泊なものだから、フライや中華料理の丸揚げのように油を使った料理に使われることが多いのだが、実は焼いて飯のおかずにすると、そのおいしさが際立ってよくわかった。
 実は先日の夕方、近くの魚専門店で体長三〇センチぐらいの、食べるにはちょうど手ごろなイシモチがじっと私を誘っているのを見つけ、二匹買った。そして、それを開きにして、かすかに塩を振って一夜干しにしてみたのであるが、これがピンポーン!!とチャイムの音がして正解であった。
 身に水分が多い魚は、こうして干して身を引き締め、さっと焼いて食うに限る、と常々思っていたので、そのようにしたのだが、これがうまかったですなあ。毎日、うまくて仕方のない朝飯が、その日のものは何倍も何十倍もおいしかった。
 ご飯にみそ汁、納豆、白菜の漬物、そしてイシモチの一夜干し。ピッカピカに輝いていましたねえ、その日の朝食が。豪勢でしたなあ。このメニューからイシモチを抜いて、その代わりに生卵というのが私の朝食の定番なものだから、イシモチの姿が光って見えたのであろう。
 みそ汁をすすった後、そのお目当てのイシモチに箸、(はし)を付けると、一夜干しとはいえ、身はホロロと崩れた。骨離れのいいその肉身を口に入れると、かすかな塩味がそうさせたのか、実に上品で甘いうまみがしてきて、味の刺激で口に中のあちこちから唾液(だえき)がチュルルチュルルとわき出す始末であった。そして、次に飯とともに肉身を口に入れてかんでいくと、今度は飯から出てきた甘みとイシモチの淡泊なうまみとが絡み合って、至福の朝、この日も到来となった。




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