新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2003.04.24  30面
食あれば楽あり



「ホッケの塩焼き」

小泉 武夫さん(東京農業大学教授)


コクみがチュルル、頭まっ白
 街の裏通りの食料品店で塩ホッケを買ってきた。反射的に少年時代の学校の弁当を思い出したからだ。昭和三十年代の中学生時代、弁当のおかずというと大体が塩ホッケを焼いたもの、クジラの味噌(みそ)潰け、身欠きニシンの煮付けと決まっていた。うひょー豪勢な、と思うけれども、当時これらは本当に安く、そしていずれもうまかったので、いつも頼んで弁当に入れてもらっていたのである。
 中でも塩ホッケは、とても塩味が効き、脂が乗っていて、育ち盛りの欠食児童にとっては食欲がもりもりと出て飯が実にうまかった。今の小学生や中学生の中には、骨の付いている魚を嫌う者も少なくないということだが、我が輩の時代はとんでもない話で、骨までバリバリとむさぼったものだ。その郷愁をくすぐるような塩ホッケをひとパック買って、心踊らせ、鼻歌など口ずさんで家に帰った。明日の弁当は久しぶりに塩ホッケだと思うと、心の底からうれしくなって胸がキュンキュンした。
 翌朝、その塩ホッケを焼いて、弁当箱にはやや大盛りぎみの飯を盛り、それを持って出かけた。昼になるのが楽しみで、それを思うとまたまたキュンキュンする。そして至福の時到来。弁当箱の飯の上に焼いたホッケの切り身をどんと置いただけ。ただそれだけでまぶしいのである。もはや胸キュンは治まって、今度は挺(よだれ)タラタラのありさまだ。そのホッケの中央辺りにまず箸(はし)を入れて、皮の上から肉身をむしりとる。それを口に入れてかんだらば、瞬時に甘酸っぱい味と淡泊な感じの甘みとうまみ、脂肪からのコクみなどがチュルルと出てきて、頭の中が真っ白くなるほどのうまさを感じた。おっかけて飯を口に入れてやると、今度は耽美(たんび)な飯の匂(にお)いが鼻に通って、そして上品な甘みが口中に広がり、それがホッケのうまみとコクみと相まう形となって、さらにうまさが増すのであった。
 あまりにそのホッケがうまいので、今度はじっくりと観察してみることにした。すると目からもそのうまさがよく感じられる。皮と肉身の間に白く透き通るようなブヨブヨとした脂肪層があって、その下には真っ白な肉身がプルンプルンといった感じで付いていた。そこを箸(はし)でほぐしてみると、骨離れのよい肉身はユリ(百合)の根の鱗片のごとく、一枚一枚離れて取り出せるのであった。
 その離れ身を一片とって口に入れてかんでみると、そこから極上の美味がチュルリチユルリとわき出すのであった。ああ、ひと切れ約百円也の口福。




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