新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2002.02.07  30面



「塩鮭を干してみた」
小泉 武夫さん(東京農業大学教授)

 年末年始に塩引き鮭(さけ)が三本手に入った。毎日毎日これを食べていたらば、そのうちに飽きてしまうだろうし、血圧上昇も心配しなければならない。何かいい手はないものかと考えたあげく、出てきた妙案は干して保存食にすることであった。三本のうち一本を材料にして乾燥肉である「とば」を作ることにしたのだ。何せとば作りは初めてなので、作ることも楽しみのひとつと考え、作戦を立ててじっくりと取り組んでみた。
 まず、新巻き鮭を一週間ほど、冬の陽と風を浴びせて水分をなるべく飛ばし身を締めることにした。ここで一番注意したのは、いつも辺りをうろついている野良猫のドラで、一口やられたら半身くらいは持ち去られてしまうほど迫力のある奴だ。幸いドラの手の届かないベランダの一角にぶら下げておいたので鮭は無事だった。そして、一週間してから鮭を三枚に割った。肉身は見事なほどにむっちりと締まっていて、濃い紅色にまで仕上がった。
 甲骨を取り除き、二枚のおろし身を五氓ュらいの厚さに切って切り身を作った。その薄い肉を一枚一枚広げて干した。今度注意するのはベランダにいつも来るカラスのクロスケ一家で、それをかわすためにハエ・カラスよけ用の三段干し網を使った。それが功を奏し、十日間、じっくり干すことができた。
 こうして出来上がった自家製とばの美味だったこと。さわってみると、カチカチになっていて、肉の色は深紅か代赭(たいしゃ)色を帯び、その色が、表面にかすかにしみ出してきた脂肪により照り出されて、官能的な美しさ。口に入れてかむとシコリ、シコリとし、次第にシャキシャキとして、口の中はだんだんと濃いうま汁と脂肪質からのコクみで充満した。私は脱兎(だっと)のごとく冷蔵庫に走り、冷えたビールをコップに注いで、とばのとりこになった。




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