新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2002.12.22

幻のシロモロコ

小泉 武夫さん(東京農業大学教授)



炭火焼き、香ぱしさと優雅な甘み

モロコ(諸子)という淡水小魚がこんなに美味な魚だとは思わなかった。琵琶湖の畔にある古い料理屋に行ったのだが、ちょうどモロコが旬に入ったというので、それを炭火で焼いて食ったのだ。火鉢に炭火が熾(おこ)っていて、その上に金網の渡しがのっている。そこに体長八センチぐらいの、銀白色の鱗(うろこ)を持ったモロコが平笊(ざる)のようなものの上にのせられて運ばれてきた。大体十匹はあったろうか。いずれも腹の辺りがプクッと膨らんでいて、抱卵しているように見えた。
 京都の錦小路あたりで見かけるモロコはいま少し大型で黒みがかかっているのに、このモロコは色っぽいなあと思い、主人に聞いてみると、これがモロコの中でも珍品中の珍味、幻のシロモロコだという。ややっ、これが噂(うわさ)に聞くシロモロコ様か、ひひゃ〜あ恐れ入りましたあ、ということになり、あぐらを組んでいた脚も自然と正座になって、心して焼いて食,べることにした。
 綱渡しにのせると、シロモロコはそのうちに実に香ばしい匂(にお)いを放ってきた。遠火の強火でじっくりと皮の部分が焼けだし、白銀でまぶしかったその体の表面は、次第に黄金の色を帯びたキツネ色へと変わってきた。そこで一度ひっくり返して反対側を焙(あぶ)る。それを箸(はし)でつまみ、二杯酢のタレに付けて食った。
 口の中に入れると、あっちっちというほど熱かったのを、フハーフハーと息をかけながら噛(か)みはじめた。するととたんに身はホクホクとほぐれだし、また小骨のあたりからはシャシャリ、シャシャリとした感触が返ってきて、そして次に、腹に抱いていたはち切れんばかりの卵巣が崩れてくると、それが歯と歯で噛まれるたびにプチプチと鳴くのであった。口の中はもう、シロモロコの脂肪から溶けて出てきたコクみと、白い身からわき出してきた優雅な甘みと無垢(むく)のごときのうまみにあふれ、まさに悶絶(もんぜつ)もののうまさであった。
 シロモロコがとてつもなくうまかったのであったが、だからといって、お代わりをしたのでは幻の珍品ゆえに他のお客様に申し訳が立たない。この味覚人飛行物体、そのあたりはぐっと紳士でありますから、再注文はしない。本当は値段も気になる。そこで今度は普通のホンモロコの「照り炊き」を注文し、それを熱燗(あつかん)酒の肴(さかな)にしたらば正解であった。ついでにその照り炊きの身をほぐし、それで最後にお茶漬けをしたらば、あっという間に三杯。ペロリであった。



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