新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2003年1月30日(木)  32面



「マグロの山かけ」

  目、鼻、口で味わうエクスタシー

 見るからに美味(おい)しそうな長芋が福島から届いた。近くのデパートの地下食品売り場に行って、マグロのぶつ切りを買ってきて、それを器にとり、上からとろろをぶっかけて、その上にワサビをちょんと乗せて「山かけ」にした。いやはやこれはうまかったですねえ。久しぶりの山かけであったし、マグロのぶつ切りも新鮮だったし、長芋も立派なものだったからだろうか、マグロの山かけがこんなに美味で感動的なものとは思っていなかった。小泉先生って何食っても感動的になれるから案外感激派的激情家で、裏を返せばどうってことない単純な人かも、なんて思う人もいるだろうが、実はそうなのです。
 そのマグロの山かけを感激しながら賞味し、次のような感激に至った。まず、山かけの中央あたりにちょんと乗っかっている緑色のワサビの下に純白のとろろがあって、その白色の下にちらりっと見えるマグロの赤。この緑、白、赤という天然色の対比が妖(あや)しいほどに美しく、まず目で感動しましたなあ。そして、その山かけの中央あたりにあるワサビに向けて、醤油(しょうゆ)を数滴たらしてから箸(はし)でさっとかき混ぜ、その器を鼻の先に持っていって、目をつぶりながら匂(にお)いをかぐ。ワサビからツンと合図が来て、すぐに醤油の紫色の匂いに乗って、マグロから潮と海の匂い、そして長芋からの滑るようなかすかな甘いにおいが来た。こうして鼻からも感動数しましたねえ。
 次につぶっていた目を開け、器を口元に持って行き、箸を使って口の中にズルズルと啜(すす)り込んだ。とたんに口の中に耽美(たんび)な甘みが広がった。長芋からの上品無垢(むく)な味。控えめの醤油が、その上品な甘みをぐっと引き立てている。そして、追っかけワサビのツンが来たと思ったら、やって来ましたやって来た。マグロの濃いうまみとコクみとが、どっと押し寄せて来たのでありました。
 そして、口の中では、そのような味の饗宴(きょうえん)とともに、別のエクスタシーも始まっていた。全身をとろろに染められたマグロは、歯と歯の間で、舌と上顎(あご)の間で、そして両頬(ほお)の内側で、滑らかしくも、おっと間違い、なまめかしくもトロントロンの状態での食感(テクスチャー)が味わえたのである。こうして口でも感動数しましたねえ。
 とかく山かけ一品にしても、それをじっくりと味わうと、いろいろなところから感動が起こるもの、今夜あたり何でもいいから一品、じっくり鑑賞して激情家になって下さい。

小泉 武夫さん(東京農業大学教授)



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掲載年月日がわかる方、教えて頂けましたら幸いです。


 
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