新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2002.10.03 (木) 32面



マダイ・「夢にまでみた刺し身を食う」
小泉 武夫さん(東京農業大学教授)

夢を見た。大きな平皿の上にタイ、カレイ、ヒラメ、コチ、アラ(クエ)、イサキといった白身の高級魚の刺し身が盛られていて、それが目の前に出ていたのだ。ところが、今度は目の前からそれが遠くへ去っていく。こら待てっ!と箸(はし)を持って追いかけて行くと、突然、目の前に海が出てきて、何ともったいないことに、その刺し身が海に消えてしまったのだ。なんだか嬉(うれ)しがらせて泣かせて消えたような夢だった。
 いったいどうしてこんな意地の悪い夢を見たのかなあ、と少し心に当たることなどを思い返してみた。すると幾つか思い当たる節がある。その第一は、ほとんど毎日のように夕食には刺し身か煮付けか焼き魚を欠かさずに食っている、重度の魚依存症の報いなのかもしれない。食べられる直前の、刺し身にまでされた魚が海に還(かえ)るという夢なのだから、きっとそれに違いない、と思い、実はさっそく仏壇の前に行ってお線香をあげ、魚たちに感謝の気持ちを込めて慰霊したのだった。
 思い当たる節の第二は、その夢を見る二、三日前のことなのだけれども、海釣りの大好きな友人が珍しく電話をかけてきて、「これからタイを釣りに野島崎に行くんだ。あした家にいるか?釣ったピチピチのタイを宅配便で送ってやるから楽しみにしてな」と言う。野島崎といえば房総半島突端のタイの本場、これはもう決まった話だと嬉しくなって、翌日の夕方まで心躍らせて待ったが、ついに宅配便は来なかった。その夜、友人から「サバとアジばっかりでタイは釣れなかったから、また今度釣れたら送るから楽しみにしてな」という電話。またもや泣かせて消えたのだから、あの夢に因果があるのではあるまいか、と思った次第なのだ。
 奇妙な夢を検証しているうちに、幻と化した房総の天然のマダイのことを思い返してしまったばかりに、今度は突然としてマダイの刺し身が食いたくなった。そこで、デパートに走って行って、少し贅沢(ぜいたく)をして活〆(いけしめ)のマダイの刺し身を買って来て、炊きたての飯で食った。実はこれが無性に食いたかったのである。
 ご飯茶わんに盛った飯の上に、ワサビ醤油(しょうゆ)をちょんとのせて食う。刺し身のコリコリ、飯の甘み、醤油の奥み、ワサビのツンツン。そのあまりのうまさに、これからも毎日、魚をしっかりと食って、成仏させることが魚介への供養だと思った。先ほどお線香をあげたばっかりの私は、やっぱり食い意地の張った食いしん坊ですかねえ。




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