新聞掲載記事から転載しました。 朝日新聞 2003年1月

カキ

(檀野達男)


カキ その1 1月20日(月) 9面

  海のミルク、品質保持に工夫

 冬はカキの季節だ。「海のミルク」との別名が定着しているカキは、豊富なビタミン、良質なたんぱく質、コレステロール低下を促すタウリンのほか、カルシウムや鉄などのミネラル分を含み、養殖業者らは「理想的な健康食品」と胸を張る。
 一方、「ちょっと苦手」という人が多いのも事実だ。敬遠される理由として苦みや生臭さに加え、「当たる」つまり食中毒が怖いとの声が少なくない。
 西洋では「Rのつかない月(5月〜8月)のカキは食べるな」と言われる。産卵期に入って味が落ちるためだ。ところが最近の研究では、カキの食中毒の多くはSRSV(小型球形ウイルス)によるとされている。このウイルスは水温が下がる冬にカキの体内に蓄積する。おいしい季節が危ない、というのだから困った話だ。
 最大の産地である広島県では、検証用に出荷分のうち毎日50グラムを冷凍保存するよう義務づけ、貝毒の規制値も海外の基準の2倍の厳しさに設定している。「生食用」にこだわる宮城県では最新の浄化施設の整備が進み、三重県では紫外線で滅菌処理した海水で洗浄する。
 食品衛生学の専門家によると、「生食」「加熱」の表示と消費期限を守り、食べ過ぎなけれは生でもまず安心。それでも気になるなら75度以上、2分間程度の加熱処理を施せば万全だそうだ。ちなみに仕事でカキを扱う人々が好む食べ方は「生」が圧倒的だ。


カキ その2 1月21日(火) 11面

  産地偽装に消費者厳しく

 宮城県のカキ関係者の間で話題のトラックがあった。荷台の後ろに大きな鳥の絵が描かれている。山口・下関に輸入された韓国産カキを運んで来る−−。
そううわさされていた。
約5千トンと広島県に次ぐ年間生産量を誇る宮城県で、産地偽装問題が発覚した。県内54の仲買業者のうち16業者が、昨シーズンだけで計360トンの韓国産カキを宮城産と偽装し、混入させていたのだ。 県は監視強化のため職員による「Gメン」を結成。関係者や消費者から情報を集める「カキ何でもダイヤル」を設置した。漁連も落札に立ち会い、混入防止のため一度開けると閉められなくなる新容器も開発した。
 偽装は突然わいて出た話ではない。漁協幹部は「生産者は自分たちが損さえしなけれぱいいと思い、行政も面倒には手を付けたくなかった」と話す。
 実は広島県でも99年末に同様の疑惑が指摘されたことがある。だが結果は灰色に。県内の生産業者は「ある業者の出荷分は大半が韓国産。養殖規模と出荷量からみて明らかで、業界では周知の事実だ」と話す。
 正面から取り上げられるようになったのは01年12月、西日本で韓国産カキによる赤痢感染が発生してからだ。「死活にかかわる」と生産者が突き上げ、行政もようやく重い腰を上げた。
 消費者の目は厳しさを増している。そのことを忘れると、確立したブランドも取り返しのつかぬ事態を招きかねない。


カキ その3 1月22日(水) 13面

  「垂下式」で大衆食材に

 広島県の宮島と宮城県の松島。日本三景に挙げられる両者に共通するのは、風景に溶け込み、海面に浮かぶ格子状の模様−−。養殖のカキ筏(いかだ)だ。
 筏の下に長さ10メートル弱のいくつもの「連」がのれんのように下がり、1本1本にカキの稚貝を付着させた無数のホタテの貝殻が取り付けてある。この「垂下式養殖法」を考案した故・宮城新昌氏は、今も「世界のカキ王」と呼ぱれる。
 国内でカキの養殖が始まったのは1500〜1600年代とされる。
 最初は、海中に投げ入れた石に付着した稚貝を育てる「石まき式」や、稚貝を海岸にまく「地まき式」だった。その後、木や竹を干潟に突き立てる「ひび建て式」が昭和の初期まで、約300年間続いた。
 沖縄生まれの宮城氏が米国での研究の経験を生かし、垂下式を成功させたのは大正末期だった。「海の農業」を唱え、滋養のあるカキを「豆腐のように安く手軽に食べられるように」と思案。海面からの縦の線を生かしたつり下げを考えついた。
 おかげで生産量は約50年間で10倍になり、カキは一般大衆の食材として定着した。
 宮城氏の次女で食生活ジャーナリストの岸朝子さんも、戦後間もないころにカキ養殖を数年間営んだ経験がある。
 「やはり各地の産地の話題は気になります。特に目立つ産業のなかった地域がカキ養殖で成り立っているという話を聞くとうれしゅうございます」


カキ その4 1月23日(木) 13面

  仏米産、もとは宮城から

 世界で最もカキ好き、と言われるのがフランス人だ。欧米人は海産物の生ものは苦手とされるが、カキだけは別である。そのフランスで生産されるカキの大半は、実は日本がふるさとだという。60年代後半、大西洋沿岸の産地で伝染病が広がり、カキはほぼ全滅した。65年から試験的に輸出された宮城産の稚貝が当初「犯人」扱いされたが、調査で疑いが晴れた。
 ぬれぎぬを着せたおわびか、仏政府の奨励策もあって、宮城県牡鹿半島付近の漁村にフランスからのバイヤーや日本の商社マンがどっと押し寄せた。
 宮城で稚貝の輸出が始まったのは大正末期だった。送り先は米国の西海岸。当時は東海岸でしかカキは採れず、資源の枯渇が心配されたため、「太平洋側でも」と導入された。
 採卵期にホタテの殻を浸して稚貝を付着させ、箱詰めする。当初は年間500箱程度だったが、評判は上々でピークの34(昭和9)年は7万箱に。戦後もそれを上回る勢いで出荷され、米や仏で養殖技術が発達する70年代半ばまで続いた。
 その輸出作業に携わった石巻湾漁協元理事の阿部喜三郎さん(79)は振り返る。
 「害虫の混入などひとつでも問題があれば、その箱はすべて詰め直し。特に米国の対応は厳しくて、検査官がわざわざ現場に来るほどでした」
 日本の食卓に並ぶカキの遠いきょうだいたちが、世界の食通をうならせている。


カキ その5 1月24日(金) 15面

  競う産地特色打ち出し

 カキの産地間競争は激しい。県別の生産量は広島が年間2万トン前後と常に全国の5〜6割を占める。宮城が約5千トンで、この2つが長いこと、トップブランドとして君臨してきた。以下、岡山が4千トン、岩手と兵庫がともに1千トン台で続く。
 宣伝文句も産地によって異なる。広島が濃厚な甘みとぽったりとした身の形を強調して「フライや土手なべに最適」と言えば、宮城は「うちは生で勝負」。他も「エサが豊富で育ちが早く高品質」(岡山)、「身が締まり、調理しても縮まない」(兵庫)と負けていない。
 「やっぱり広島やで」「水が冷たい東北の方がうまいに決まってる」「いや、夏の天然イワガキが一番」。そんなやり取りも楽しいが、一般人が味対決の結論を出すのは難しい。
 料亭・青柳の主人で、本紙家庭面「日本料理で晩ごはん」を担当した小山裕久さんは、イワガキは別として、産地ごとの味の差は実際はそれほどでないという。同じ県のものでも大きさや品質にばらつきがあるし、料理の仕方でも変わってくる。
 「大事なのは生産者を始め、流通や行政に携わる人の姿勢だと思います。そこにごまかしがはけれは、当然、上質で新鮮なものが食卓に届くはずです」
 こうした意見は産地にも響いている。品質保持のため生産抑制の方針を出したり、生産者と消費者の直接売買を奨励したり……。従来の殻をうち破る試みが始まっている。



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  *新聞記事の漢数字を断りなく算用数字(アラビア数字)に変換しています。



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