日本経済新聞掲載記事から転載しました。 2002年12月14日(土)夕刊





 今は高級魚になったフグやマグロだが、江戸の世では下魚だった−−。江戸時代の料理書には、食材を格付けした記述が残っており、中でも魚に関しては、現在とは意外な違いがあって面白い。折しも来年は江戸開府400年。江戸の食文化に詳しい千葉大名誉教授の松下幸子さんに、料理書からひもといた江戸時代の魚の格付けについて寄稿してもらった。


 約70人の千葉大の学生を対象に、日本食品標準成分表から選んだ魚介類110種について、各自が考える上中下の格付けを調査したことがある。
 ほぼ全員一致で上としたものは、タイ、フグ、アワビ、ウニ、伊勢エビで、下でほぼ一致したものは、イワシ、シシャモ、シジミ、タニシだった。マグロは約3分の2が上、約3分の1が中としたが、これはマグロには大トロや赤身など、部位による差があるためと思われる。

    ▽−−△

 上魚の中でもタイが1位であることは衆目の一致するところで、「めでたい」の「たい」に通じることもあって、祝儀の膳(ぜん)には欠かせない魚だ。しかしタイが1位になったのは江戸時代からで、それ以前はコイが1位であり、魚介類の格付けは時代によっても違いがある。
 鎌倉末期の「徒然草」には、「鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり」とあり、当時はコイが第1のものだった。その理由は、黄河の竜門を登って竜になる魚としてコイをあがめる中国文化の影響と、海から遠い京都で入手できる鮮魚は淡水魚で、その中ではコイが1番だったことなどが考えられる。
 室町時代も魚の1位はコイだったが、江戸時代になるとタイになった。食原本草書の「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」(1697年)は、タイは魚類の第1とし、形も色も美しく、肉は極めて美味とほめそやしている。また、江戸後期の俳文集「鶉衣(うずらごろも)」の百魚譜にも「柱は檜の木、魚は鯛」と記され、タイをたたえている。
 江戸時代の料理書の中で、魚介類の格付けを記したものは数種あるが、最も詳細な記載のあるのが「黒白精味集(こくびゃくせいみしゅう)」(1746年)。土中下の魚を用いた献立例を四季ごとに3例ずつ記している。他の料理書にも客の身分により相応の格の魚を用いよという記述が見られ、魚の格付けは重視されていたらしい。
 黒白精味集を基に現在もよく知られている魚介類を選び、上中下の格付けを表にまとめてみた。

    ▽−−△

 表を見ると、シジミが上でハマグリが中、アジが中でシマアジが下など、現在とは逆に思われるし、高級魚のフグや人気のあるマグロが下なのも奇異に感じられる。そこでフグとマグロが下魚であった事情を探ってみよう。
 フグは現在は高級魚だが、江戸時代はフグ料理免許の制度もなかったので、フグによる中毒死が多く、そのため下魚に格付けされていたらしい。
 「柳多留」には「雪の晩鰒(ふぐ)だんべいと薮医おき」「片棒をかつぐゆふべの鰒仲間」などの川柳がある。前者は、フグが旬の冬の晩にたたき起こされた庶民相手の医者が、「どうせフグに当たったんだろう」とぼやくさまをよんだ。後者は、フグの毒で死んだ仲間の棺おけを、生き残りの者が担ぐ情景を描いた。
 こうしたことからも昔は中毒が多かったことや、庶民も食べられる価格だったことがわかる。シーボルトが記録した「1826年(文政九年)江戸の価格付き主要食品リスト」(食の文化誌ヴェスタニ十七号所収)によると、サバやアマダイが1枚(尾)3百文で、フグは二百文だった。
 マグロは随筆「飛鳥川(あすかがわ)」(1810年)に、「昔はまぐろ食(くい)たるを、人に物語するにも耳に寄せてひそかに咄(はなし)たるに、今は歴々の御料理に出るもおかし」とあって、そのころまではごく下賎(げせん)な魚だったらしい。マグロは古名をシビといい、不吉な名であることや、脂っこい魚は当時の人々の嗜好(しこう)に合わなかったことも下魚だった理由のようだ。
 魚介類の格付けは、江戸時代の人々の嗜好、安全性、需要と供給のバランスなどが要因となり、料理人の秘伝書などによる先入観も加わって成立したらしい。


魚介類の格付け(「黒白精味集」より)
アカガイシラウオアイナメイワシ
アマダイ  スズキ  アサリカド(ニシン)
アユタイアジカニ
アワビタラアラクジラ
アンコウフナイカコノシロ
イセエビマスイシモチサバ
カキ ウナギサメ
カレイ カツオシマアジ
キス サザエドジョウ
 クルマエビ  タコハゼ
コイ タニシフグ
サケ ナマリブリ
サヨリ ハマグリ  マグロ  
サワラ   ヒラメ  ムツ
シジミ ボラ 


[ BACK ]



 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送