新聞掲載記事から転載しました。 日本経済新聞 2001.12.20



「妖しいブリ切り身」

小泉 武夫さん(東京農業大学教授)


先日、わが家の近くにある活気ある鮮魚店の前に「天然もの氷見ブリの切り身」と書いた紙札がぶら下がっていて、その下にはそれはそれは見事なブリの切り身が並べられていた。横幅二十センチ、厚さ四センチもある豊満な切り身で、それをひと切れ、手に取って電灯の明かりの中でじっくりと観察してみると、それは神秘的なほどの色彩と光沢であった。
 皮の色は全体に銀色で、それが腹身の方に行くに従ってまぶしくなり、また、背身の方は黒い中にやや緑色を帯びていて、こちらの方もまぷしい。身はといえば、これがまた妖(あや)しいほどの美しさで、背身の方はやや紅(あか)みを帯びたピンク色で、中間はその紅みの中に白く細い脂肪腺が規則正しくちりばめられていて、まさにきめの細かい霜降りの状態。そして腹身のあたりは純白と言えるほどの脂肪ののり具合。その官能的な美しさは、もう見ただけで食の欲がそそり立ってしまうほどのものであった。
 これでは、買って行っでじっくりと賞味しなければ心は収まらない。そこで、その切り身を三つほど買って、心ときめかせ、鼻の孔(あな)から熱い息をプープー吐き出しながら家に帰った。
 鮮魚店の大将に聞くと刺し身でもいいよ、というので、まず刺し身に卸して、大根おろしで賞味した。口に入れるとコリコリとして弾力があり、そして、次第にねっとりとしたコク味と濃いうま汁がわき出てきて、それを大根おろしの甘みと辛み、醤油(しょうゆ)の塩味とが静かに抑えるようにしてくれるものだから一層の情緒が生まれてきて絶妙であった。照り焼きもその日の王様であった。まぶしいほどの照り方で、辛口の純米酒の燗酒(かんざけ)で、もう大脳の味覚受容器は失神寸前と相成った。なんと日本食はいいものか、スローフード万歳!!




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