新聞掲載記事から転載しました。 朝日新聞 2003.03.29(土)



磯の香りに郷里思う
赤貝ごはん

 サザンカの花が咲き、紅梅がふくらみ始めた庭先に、台所から磯の香りが漂ってきた。
 「小さい頃、母がよく作ってくれた赤貝ごはんです。遊びから帰った夕暮れ、台所で赤貝から身を取りだしている母の姿を目にした瞬間、『あつ! 今日は赤貝ごはんだ』と思わず叫んだほど、うれしかったものです」
 島根県大社町。出雲大社の近くに住む前島秋子さん(57)は支度をしながら、楽しそうに話した。 故郷は出雲大社から北へ約8「、日本海沿いの小さな漁村だ。イワシやトビウオ、イカなどの沿岸漁業が盛んだった。実家は村に一軒しかない雑貨店。7人きょうだいの末っ子だった。
 「すぐ目の前が海です。波の音が子守歌のようなものでしたね」
赤貝は当時、中海(なかうみ)から運ばれてきた。前島さんが小学生の頃は馬に積んでやってきた。わらで編んだコモに入っていて、店では升で量り売りした。ほとんどの家が赤貝ごはんを作っていたようだった。隣の出雲市内でも赤貝の煮物がなくては年を越せないといわれたほど、中海の赤貝は昔から別格扱いだった。米子でも赤貝ごはんや赤貝入りおこわを盛んに作り、市内では、今も「米子名物・赤貝ごはん」の看板を目にする。
 「比較的安かったのでしょうね。牛肉のすき焼きは年に一度、冬至の時にしか食べられませんでしたから」
 小学1年の時、父親、姉たちと山道を何時間も歩いて出雲大社まで行ったことも、忘れられない思い出だ。5月の大礼祭。学校はこの3日間を特別な日として、午前中で授業を終えていた。
 「いろんなものを買ってもらえるのがうれしくて。サーカスが楽しかったのも覚えています。ゾウを初めて見たのはこの時でした」
 高校進学で漁村を出た。21歳で結婚、2人の子どもに恵まれた。自分で赤貝ごはんを作り始めたのは、子どもが育ち盛りになった頃だった。
 現在静岡で保険会社に勤める長男(32)は幼稚園に入った頃から大好きだった。「食べるたぴに、『お母ちゃん、おいしい』っていうもんだがら、私も乗せられましてね」。いまも年の瀬に帰ってくると、必ず赤貝ごはんを大きな茶わんで食べ、しようゆで煮た赤貝を静岡に持って帰る。「正月が近づくと、10「は買って息子の帰りを待ちます」
 中海の赤貝はいつの間にか姿を消した。中海・宍道湖淡水化事業で干拓堤防ができた81年を境に、中海の魚介類は激減。全国有数の漁獲量を誇っていた赤貝は絶滅した。島根県内のスーパーで売っているのは、ほとんどが岡山産だ。
 赤貝ごはんに使う貝は直径3〜4センチ。すしで食べる赤貝に比べかなり小ぶりだ。昔から「赤貝」と呼はれているが、実は別の種類。正式名はサルボウガイで、缶詰の「赤貝煮」に使われている。大きな違いは貝の表面にある放射状のしま模様の数。赤貝は42〜43本あるが、サルボウガイは30本前後しかない。 支度を始めて約1時間半。台所に磯の香りが漂い始めた。「さあ、できましたよ」。赤貝ごはんを茶わんによそう前島さんに笑みがこぼれた。
 出雲特産の磯ノリをかけて食べる。赤貝特有の香りが口の中に広がった。あっさりしておいしい。味をかみしめるうちに、前島さんの故郷が見たくなった。
 出雲大社の脇を抜け、曲がりくねった山道を車で約20分。日本海が見えてきた。荒れ狂う波と鉛色の空。海のそばまで山が迫っている。約50戸の小さな漁村の狭い路地を、実家に向かって歩く。赤貝ごはんの香りがよみがえってきた。(佐藤昭仁)


ホームページは
http://www.be.asahi.com/e.html

赤貝ごはんの作り方
米はゆで汁でたく

【準備するもの】(4人分)
米3カップ 赤貝1「(直径3位の小さなもの) ニンジン2分の1 薄揚げ2分の1 薄口しょうゆ大さじ3 みりん大さじ1 酒大さじ3 砂糖小さじ1
@米はといでザルにあけておく。
A赤貝は沸騰したお湯に入れてゆでる。口が開いたら、ザルにあけ、身を取り出してサッと洗う。ゆで汁はとっておく。
Bニンジンは皮をむいて小さい千切りにする。油揚げは粗みじんに細かくきざむ。
C炊飯器にといだ米と好みで調味料を入れた後、一度こした赤貝のゆで汁を3カップ目盛りのところまで入れる。
D赤貝の身、ニンジン、油揚げを入れ、炊きあげる。器によそって刻みのりを散らす。

※生の赤貝が手に入りにくい時は、赤貝味付煮の缶詰で代用できる。その場合、約200ゥの身をサッと水洗いしてから使う。




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