十二支について


索 引

十二支の由来

十二支獣の由来

干支による生年の吉凶

○十二支の由来
十二支は、子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・末(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)の総称である。

十干と同じく十二支も、いつの時代にできたかはっきりしないが、十干よりも古く、すでに殷の時代には使われていたともいわれる。
初め、十二支は十二か月の順序を示すための符号(数詞)であった。子は正月、丑は二月…と順繰りにつけていったものと考えられる。正月を寅としたのは漢時代以降である。
本来は、第一月である正月が子の月というのが自然であるが、夏正(立春正月)が使われるようになって、正月は寅の月、二月は卯の月、三月が辰・・・と順につけられ、十月が亥、十一月が子の月、十二月が丑の月となった。

三正論
周の時代には、冬至を含む月を正月、殷の時代にはそれより一か月遅れた月を正月、夏の時代にはさらに一か月遅れた立春に近い頃を正月としていた。
これを十二支にあてると、夏の正月は寅、殷の正月は丑、周の正月は子で始まることになる。
この夏殷周の三様の正月を三正論と称した。漢時代以降は、夏の正月建寅を採用して今日に至っている。日本の旧暦も正月は寅月である。十二支は、一二年ごとに一巡する年まわりを示し、また十干と組み合わされて、六○年で一巡する年、あるいは六○日で一巡する日を表すほか、時刻や方角などを示すのに用いられる。
十二支は十干と組み含わせて紀年法や記日法に用いられるほか、月名や時刻や方位にも使用されている。
たとえぱ、子の刻は午後十一時より午前一時まで、丑の刻は午前一時から三時までと十二支を二時間ずつに割り当てる。また、子の方角とは北をさし、卯が東、午が南、酉が西をさす。
子と卯の間に丑と寅があるから、丑寅の方角といえば、その真中で東北をさし、「艮」の一字でうしとらと読ませる。同様に、卯(東)と午(南)の間に辰と巳があるから、たつみといえば東南をさし、「巽」の一字でたつみと読ませる。
以下、南西はひつじさるの方角で「坤」の字を当て、北西はいぬいで「乾」の一字でいぬいと読む。また子午(しご)線とは南北線のこと、卯酉線(ぼうゆうせん)とは東西線のことである。

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○十二支獣(じゅうにしじゅう)の由来

中国の戦国特代(紀元前四八○〜二四七年)の頃よリ、前項で説明した十二支に動物名をあてて呼ぶようになった。これが十二支獣といわれるものである。十二支に使われている子や丑の字には、元来ねずみや牛の意味はなく、子をね、牛をうしと読むことは十二支獣のとき以外にない。
十二支の名称は、中国歴代王朝の暦を周辺の未開の地方に伝えるためには、子・丑・寅などの単なる記号に代えて、覚えやすい動物名を配したものといわれる。宇も読めない人々に対して、子・丑・寅などという、抽象的で難しい字を覚えさせるより、動物名をあてはめた方が都合がよかったのであろう。
さらに、単に月を表す記号であった十二支は、後にば年・日などを繰るための記号としても使われるようになる。このことと、呼びやすさ、わかりやすさをねらって動物名をあてたことが、後にさまざまな迷信、俗説を生む原困となった。
しかし現実には、子が鼠で丑が牛で、寅が虎で、と本気になって信じ込んでいる人は少ない。
たとえぱ鼠窃狗偸(そせつくとう)という言葉がある。鼠や犬のようにこそこそ物を盗むという無味だが、子窃戌偸とは純対にいわない。丑にしても同じことであり、牛肉大安売りとは書くが、丑肉大安売りとはいわない。それにもかかわらず、亥(いのしし)年生まれの女性は気が荒くていけないなどというのだから矛盾もはなはだしい。

[十二支獣]

子(ね) −−鼠(ねずみ)
丑(うし)−−牛(うし)
寅(とら)−−虎(とら)
卯(う) −−兎(うさぎ)
辰(たつ)−−竜(りゅう)
巳(み) −−蛇(へび)
午(うま)−−馬(うま)
未(ひつじ)−羊(ひつじ)
申(さる)−−猿(さる)
酉(とり)−−鶏(にわとり)
戌(いぬ)−−犬・狗(いぬ)
亥(い) −−猪(いのしし)

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○江戸時代の雑書に記載された生年の干支(えと)による吉凶

(ねずみ)(うし)(とら)(うさぎ)(りゅう) (へび)(うま)(ひつじ)(さる)(にわとり) (いぬ)(いのしし)




(誤宇、脱字はおゆるし下さい)

参考図書・文献、『現代こよみ読み解き事典、岡田芳郎 + 阿久根末忠[編著]・柏書房』


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